古代のお墓、その素晴らしさを伝える会

下野市には甲塚古墳がある。この国には古墳と呼ばれる古代の人々が祀られたお墓は10万以上も存在している。そして古墳が持つ意味や種類、そして謎やミステリーも存在する。奇しくもそれは世界に名だたるお墓にも何かと事情が込められているのです、ここではそんなことを語っていくサイトとなっています。

目次

下野市の甲塚古墳について


文化は大切です

日本人は自国の文化を大事にしないとよく言われる、それに対して激しく同意をしたくなる部分を持っている人は多いはず。かくいう筆者も学生時代、それこそ中学生ぐらいの年代においては日本という国の風習に対して興味関心どころか、それらを敬うといった気持ちは皆無だった。修学旅行の定番でもある京都・奈良へ行った時も、各地を巡って神社仏閣を観覧して回ったものの全くといっていいほど面白いとも感じなければ、素晴らしいなどと大それた思いを一欠片も持たなかった。それは同級生たちも同様で、本来ならゆっくり見て回らなければならない場所を全員が素通りして終了するという、無礼千万とも言える行動を起こした時には、流石に先生たちも公共の場だということを忘れてブチ切れていました。今のご時世とは違って教師が生徒を叱っても問題にならない時代だったので当然のように行われていましたが、それでも通っていた学校の大学でいじめによる自殺事件が勃発してしまったのであまり穏やかな話でもなかったりする。

そのまま成長したので文化に対して鑑賞することを覚えずに育つと思っていたのですが、20代になる頃には何がどうなってそうなったのかはわからないのだが、自分から率先して勉強するほどにのめり込んでいた。日本の文化、自発的に勉強していく上では興味関心を持って色々と調べることも出来る。ですが現在までのこの国が行っている教育理論では、そんな主体性を発揮することもできずに暗記を中心とした物となっているため、勉強をつまらないものだと刷り込みするかのように行っているため、勉強嫌いが増えている一因でもあるだろう。それは日本の歴史・文化も例外ではない、教師が受験に必要な知識だけを教えるだけでは意味が無い、きちんと自分のためになる勉強なのだと教えこむようにしていかないと改革していけないのです。

前置きも大分長くなってきたので、そろそろ今回の主題であるテーマに映るとしよう。今回はそんな日本の歴史・文化の中の1つである『古墳』について話をしていこう。まずはその古墳を知るために、栃木県は下野市にあるしもつけ風土記の丘資料館のことも含めて話をしていこう。

下野市で発見された歴史の一端

古墳という、日本各地に実は知らないだけで大量の存在が確認されているそれらを知るため、モデルとして下野市にかつて存在していたと言われている『甲塚古墳』を取り上げてみる。下野市は栃木県、関東となっている。関東圏でも実は古墳を探そうと思えば結構ある。下野市の甲塚古墳はその中の1つとなっていますが、現在では古墳は当時創造されたそのままが残されているわけではなく、現在古墳があった場所である公園を造成する際に、復元される事となりました。

その大きさは実に全長37mとなっているので、決して小さいものではありません。しかし石室に関してはかろうじて現存していたので、そのままとなっています。石室以外がほぼ壊滅に近い状態でありながら、無事だったのはほぼ奇跡に近いのではないか、などとも言われていた。考古学を専攻している研究者の方々に言わせれば願ったりかなったりだと感じたのではないか、などと思ってしまう。

冷静になって考えてみると、当時機械もない時代で縦でなくても横長に全長37mの巨大構造物を作り上げた、当時を生きていた人々の職人魂には頭が上がらない。無論作業の年数は単純に数えても数年以上の時間を要し、さらに作業中には死者も出た可能性も十分ありえるでしょう。切磋琢磨して構築された古墳を素晴らしいと言わずして何というかだ。それをただ無駄にでかい、特別意味を持たない大昔のお墓でしかないと断言しない人はもう少し広い視点から見てみると、また違った見方も出来るのではないでしょうか。

資料館で歴史を垣間見れる

そんな甲塚古墳についての情報はしもつけ風土記の丘資料館で詳細を知ることが出来ます。ここでは下野市の歴史はもちろん、古墳から出土した埴輪なども展示されているのでとても興味深い場所だ。地域によって埴輪も特色が出ているため、下野市でかつて存在していた古墳から出てきたものから見えてくる特徴などを知ることが出来る。

とはいえ、こうした施設があったとしても訪れようとする人は残念ながらそこまでいないでしょう。特に地元の人達からすればいつでも足を運べるし、よほどのことでもない限りはこんな場所へと足を運ぼうと考えつく人はかなり稀だ。仕方がないといえば仕方がない。あるいはこんなところがあったなんて知らなかったという場合もあるだろう。筆者も現在住んでいる場所に、まさか日本庭園が展示物として公開している施設があると気づいたのは、住み始めてから数年が経過した時だったというくらいに意外な話が飛び出す場合もある。

甲塚古墳の特徴として

では甲塚古墳は他の古墳と比べてみると、どんなところにこだわりがあったのかという話をしてみよう。古墳は当時生きていた人の好みが反映されている事が多い、それは甲塚古墳も例外ではなく、その証拠として唯一現存していた石室では右方袖式で奥壁に凝灰石の鏡石を据えている点については他と変わらない。注目して欲しいのは、天井が自然石7枚を並べたものとなっており、袖部にも袖石を1個設置していているという、あまり見かけることのない構造となっている。

また副葬品として納められていたところには、被葬者が生前愛していたと思われる鈴が蓄納されていたので、こだわりにこだわりを尽くした古墳となっている。

当時の文化も知ることが出来る

古墳から見えてくるのは当時、偉い身分だった人が納められているお墓となっていますが実際のところ、どうしてここまで巨大な建造物を建築するまでになったのか、という疑問が残るはず。お墓なんて自分世間一般の、それこそ全長1.5m程度なくらいのものが大体ちょうどいいのではないか、そう思った人は多いはずだ。

まだ歴史や文化に対してさほど興味を持っていなかった時期でも、それくらいは筆者も思ったものです。なので、今回は古墳というものに焦点を絞ってそこからいろいろな可能性を考察していこう。